大変便利な電話占い中野
結婚すれば、もうそんなことをしなくてもいいのだと、私は思った。
朝、起きれば、そこにデートする相手がいるわけで、どこにも行かなくたって、早い話が着替えなくたって、デートが実現する。
まさに毎日がデートのし放題。
こりゃあ、結婚しない手はない。
夫のほうも同じ気持ちでいたようだ。
結婚式が終わったとき、彼は「ああ、もうこれで、新幹線に乗らなくていいのだ。
ほっとするよね」と言った。
ところが、私は一つ忘れていた。
デートはたまにするから、示し合わせて会いに行くからデートだということを。
起きたらそこがデート場なんて、都合よくできてはいないのだ。
第一、毎日、二十四時間デートしっぱなしなんてこと、それでなくても体力がない私には無理である。
先日、結婚して二年目を迎える奥さんに会ったのだが、彼女も同じようなことを言っていた。
「どうして結婚したの?」と、聞いた私に、「あのね、休みのたびにデートとかしていて、とても楽しくて。
結婚したら、もっとたくさん会えて楽しいなって思って」という答えが返ってきた。
けれども、彼女はすぐにこうつけ足した。
「でもね、してみたら、そんな甘いものじゃなかったの。
親戚とのつきあいやら、家のローンやら、いろいろ頭の痛いことが多くて。
おまけにすぐ子供ができちゃったから、デートどころじゃなくなっちゃった。
最近、うちの旦那さん、私のことなんて見てないの。
ウチに帰ってくると、子供部屋に直行してしまって」彼女は本当に悲しそうな顔をする。
「まさか、見てないなんてことないわよ」となだめる私に、彼女は憤然と言い放った。
「いいえ、見ていません。
ホントに見てないのです。
私なんて、乳母くらいにしか思ってないのだから!」「じゃあさ、今度、モヒカン刈りのカツラでもかぶってみたら。
服は、そう、ビキニの水着でも着ときなさい。
きっと、ご主人、腰抜けかすと思うよ。
そうすれば、見ていないようでちゃんと見てくれていたってわかるでしょ」冗談のつもりで言ったのに、彼女は「うん、やってみる」と、明日にも実行に移しそうな顔をするのである。
やっぱり結婚を永遠に続くデートと考えるのは、大きな間違いなのかもしれない。
それなら、たまには家を離れて、外で待ち合わせをしたらいいのだと思ったこともある。
家で会うからうまくいかないのだとしたら、以前のように、「駅の改札口で六時にね」なんて約束をすればいい。
それでもって、イタリア料理でも食べて、パーに行って、それから、それから、と算段するのは、これまたあさはかな考えのようだ。
先日も、夫に「ねえ、たまには二人で素敵なとこに行ってご飯食べようよ」と誘ったら、夫結婚は二人の関係をどう変えるかは「なんで」と言ったあと、「ゃだよ。
俺、家でメシ食うほうがいい」と、あっさり断わられてしまった。
カップルでお出かけというのは、あくまでも両方が思ってこそ成立するもので、片方だけが望んでもうまくいかない。
それに、タイミングの問題もある。
息子がまだ赤ん坊だった頃、夫はよく私をデートに誘ってくれた。
まだ、若かったのですね、彼も。
「子供を寝かしつけて、二人で出かけよう、出かけよう」とうるさい。
ところが、私はいやでたまらなかった。
留守中に火事があったらどうしよう、地震が来たら助け出せない。
そう思うと、気が気じゃなかったのだ。
それでも、せっかく言ってくれたのだからと、近所の喫茶庖まで出かけたりしたこともたまにはあったが、私はいつも心ここにあらずの状態だった。
当時、彼は思い切りいやな思いをしていたに違いない。
今では深く反省しているが、核家族で赤ん坊を育てている私にとって、しかたのないことだったのだ。
そのたびに、私は彼に言った。
「Tが大きくなったら二人で出かけられるからね、今は辛抱してね」、と。
ところが、子供が大きくなった今、晴れて私たち夫婦が手に手を取り合って出かけるかというと、そんなことはないのである。
一緒に出かけるのは、競馬場くらい。
「行こう」と誘ってくれたときにさんざん待たせた罰なのか、それとも、行けないときだけ行きたかったのか、今や彼は夫婦で出かけない人となった。
あるとき、夫に尋ねてみたことがある。
「今ならもう大丈夫なのに、どうしてデートしないの?」すると、思いがけない答えが返ってきた。
一緒に出かけることを楽しみにして、ワクワクしている妻の顔が負担なのだそうだ。
何かこう、とてつもなく楽しい思いをさせてやらなくてはというプレッシャーを感じてしまう。
こうなると、ほかの人と出かけたほうが疲れない。
それを聞いたとき、私はかなりショックだったが、正直に本当のことを言ってくれた彼を偉いとも思った。
確かに、そういうことであると思う。
楽しみにしているその顔が相手にはストレスになるってことが。
そういえば、たまに二人で出かけるたびに喧嘩する夫婦って、けっこう多い。
先日も、知り合いの奥さんが、「これから主人とデートなのよ」と、ワクワクしながら出かけていったのに、翌日会ったら、「もう最低、なんだかぎくしゃくしちゃって。
話すこともなくて」と、プンプン怒っていた。
これも、デートを楽しみにすることが相手への負担になって起きた喧嘩なのかもしれない。
子供が幼稚園でお泊まり会がある日、久しぶりだからと、夫婦でシティ・ホテルに宿泊したのに、それまでで最悪の夫婦喧嘩をして、離婚寸前までいった知り合いもいる。
結婚は、デートを楽しみにしていた男女を、デートを負担に思う男女に変えてしまうらしい。
家に帰れば会えるのだから、今さらデートなんて、としらける人も出てくる。
なかにはデートすること自体を大きなストレスと感じる人もいるようだ。
苦い現実ではあるが、私はこれに絶望したくない。
考えようによっては、デートしなくても続く男女関係というのも、希有なものだと思うからだ。
結局、結婚は永遠のデートなのか、そうでないのか、未だ模索中である。
「どうも違うようだ」とがっくりする日もあれば、「そうかもしれない」と期待するときもある。
「そうでなけりゃあ」と張り切る日もある。
いずれにしろ、夫婦の愛情というのは、一種、独特なものだ。
一見、弱々しく消えかかっているようでいて、けっこうしぶとい。
ちょうど織火のように。
消えているかと思うと、ちゃんと火がついていたりするのだから。
ただ、ときにはふうふう息をふきかけて、まだ火、がついているかどうか、確認しておくほうがいい。
恋の炎とまではいかなくても、蟻火くらいはつけておかねばね。
よく「二人でいると、喜びは二倍に、悲しみは半分になる」という。
確かに、その通り。
以前はそう思っていた。
自分にうれしいことがあったとき、一緒に喜んでくれる人がいると、うれしさもひとしおとなる。
二倍どころか、三倍、四倍に喜びが膨れ上がる。
私にとって、長いこと、母がその人だった。
高校に入ったとき、大学に合格したとき、母は自分のことのように喜んでくれた。
母のうれしそうな顔を見ると、私は頑張った甲斐があったと思ったものだ。
ときには、合格したこと、それ自体よりうれしく感じたりした。
反対に、一人では耐えられないと思うような悲しいことでも、家族といるとまぎれていった。
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